大判例

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広島高等裁判所 昭和42年(行コ)7号 判決

控訴人(被告)

広島刑務所長

後藤信雄

代理人

村重慶一

外三名

被控訴人(原告)

松永健吾

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。」訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張ならびに証拠関係≪省略≫

理由

当事者間に争のない事実および控訴人と被控訴人との間に公法上の特別権力関係が成立していることは、原判決の理由中の説示と同様であるから、これを引用する。

国の営造物たる刑務所における特別権力関係に基づき、自由刑の執行のために必要な範囲と限度において、右営造物の管理運営上、受刑者が、一般通常の国民と異り、憲法の保障する基本的人権の制限を受くべきものであること、そして、この場合に、基本的人権に属すると考えられる各種の権利ないし自由が利限を受くべき態様の一様でないことは、控訴人主張のとおりである。これを文書、図書の閲読の自由についてみれば、行刑目的に照らして、刑務所における紀律、ひいては受刑者の性格、行状に応じた教化処遇上有害であり、また、刑務所の管理運営上支障を生ずる虞がある場合には、それが逃亡の防止、刑務所内の秩序維持に明白かつ現在の危険を生ずる程度にいたらなくても、原則として、刑務所長の専門的、技術的判断にしたがつて制限しうると解するのが相当であり、監獄法第三一条第二項、同法施行規則第八六条等の規定等は、この趣旨を明らかにしたものである。

そして、本件係争図書に、控訴人主張のごとき内容の記載があることは、当裁判所に顕著であるところ、<証拠>および弁論の全趣旨によれば、被控訴人の性格、服役態度が控訴人主張のとおりであつて、本件係争図書の閲読を許すことによつて、被控訴人の広島刑務所内における教化目的の実現が、それだけ困難性を増し、かつ管理運営上支障の生ずべきことが推認でき、これに反する証拠はない。

したがつて、右の限りにおいては、被控訴人に対して本件図書の閲読を許可すべきでないとする控訴人の判断も、一応理由なしとしない。

しかしながら、具体的事案につき、控訴人の前記各条項に基づいてなすべき判断は、それが直接人権の制限に触れるものであるだけに、単に行刑目的等控訴人主張の立場からのみ、その適法であるか否かを論ずることはできない。

被控訴人は、控訴人を相手方として、昭和四〇年一月二二日になされた二〇日間の軽屏禁および作業賞与金計算高三〇〇円の減削、ならびに同年六月一五日になされた一ケ月間の軽屏禁の各懲罰処分を取り消す旨の判決を求める訴を昭和四〇年六月に提起し、該事件は、現在、昭和四一年(行コ)第七号事件として、当裁判所に係属中であるところ、被控訴人が当事者の一方として、該事件の遂行を準備するにあたつては、刑務所内における懲罰処分の根拠、そのよつてきたる所以、懲罰処分と作業賞与金計算高の減削との関係、さらには監獄法の体系の認識等が必要であり、本件係争図書が監獄法およびその関係法令を解説した学術専門書であつて、右目的にそうものであることは、当裁判所に顕著な事実である。もちろん、被控訴人が弁護士を該事件の訴訟代理人として選任しうる権利を有し、法律扶助協会の扶助願出の自由を認められており、その他控訴人主張の篤志面接委員の援助を受け、あるいは、六法全書を閲読し、広島刑務所の職員の指導を受ける途が拓かれているとしても、被控訴人自らが該訴訟を遂行している以上、これらの事情の存在のみをもつてしては、被控訴人の本件係争図書閲読の必要性を否定し去ることをえない。

国民の裁判を受ける権利の憲法上の保障は、受刑者といえども、ひとしくこれを享受できるのであつて、これは単に受刑者が訴訟を提起する自由を、いかなる理由によつても奪われることがないというにとどまらず、右保障の趣旨とするところからすれば、訴訟遂行の準備のためにも、控訴人主張の行刑目的や管理運営上の要請との対比において、能う限り、必要な手段を用いうる自由が尊重されることを要するものと解しなければならない。

これを本件の場合について見るに、弁論の全趣旨に徴すれば、被控訴人が前記別件訴訟の遂行を準備するために本件係争図書を閲読する必要性の程度は、その閲読によつて生ずる被控訴人の広島刑務所内における教化目的の実現の困難性の増大、管理運営上の支障につき、さきに認定した程度を考慮に入れても、なお、到底これを否定することができず、この点を看過してなした控訴人の判断は、これを適法と認めることができない。

そして、本件行政処分の適否についての爾余の判断は、原判決の理由中のこの点に関する説示部分(ただし、以上の図書閲読の制限についての判断に牴触する部分を除く。)と同様であるから、これを引用する。

以上の次第で、原判決の結論は、結局相当であるから、本件控訴は理由がなく、これを棄却すべきものである。

よつて、民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。(宮田信夫 辻川利正 裾分一立)

【参照】第一審判決の主文及び理由

主文

原告の昭和四一年八月三〇日付領置金使用願に対して同年九月一日被告のなした不許可処分はこれを取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

理由

原告が昭和三七年一〇月二七日以降広島刑務所に服役中の者であり、昭和四一年八月三〇日「監獄法」を購入すべく領置金使用願を被告に提出し許可を求めたところ、被告より同年九月一日不許可の処分をうけたことは当事者間に争いがない。

刑務所は自由刑の刑の執行の場所として国が設置し、国の意思によつて支配され運営されている営造物で、同営造物に受刑者として収容されている原告と営造物の主である国との間には懲役監収容という営造物使用関係が存在する。そうして右営造物の管理運営を司る刑務所長たる被告と原告の間には右刑の執行の為に必要な範囲と限度において被告が原告を包括的に支配し、原告は被告に包括的に服従すべき関係いわゆる公法上の特別権力関係が成立している。

ところで、特別権力関係においても憲法の保障する基本的人権は排除されるわけでなく、たゞ特別権力関係設定の目的に照らし合理的と認められる範囲において制限をうけるにすぎない。およそ図書閲読の自由は「読む自由」「知る自由」に帰するがこれを憲法の保障する基本的人権の上からみると憲法第一九条の思想の自由ないし第二一条の表現の自由としてとらえることができるのであつて、受刑者といえども右の自由の保障のあることは前述のとおりである。そこで右の自由が刑務所における特別権力関係においていかに制限をうけるかについて考えるに、在監関係の本質は、裁判によつて確定した刑を執行する為、国家が受刑者を継続的に拘禁して一般社会から隔離し、かつ当該受刑者を矯正教化することであり、この為には受刑者の逃亡を防ぐと共に、監獄内の紀律と秩序を維持しなければならないから、ある文書図画を当該受刑者に閲読させることによつて監獄からの逃亡の防止と監獄内の紀律および秩序の維持に明白且つ現在の危険を生ずる蓋然性の認められる場合には刑務所長は右文書図画の閲読を禁止又は制限することも許されると解しなければならない。

しかし「監獄法」が監獄法およびその関係法令を解説した学術専門書であることは当裁判所に顕著な事実であつて、その内容に被告主張の如く立法論ないし政策論的部分及び警備方法に関する事項等が含まれているとしてもこれを受刑者が閲読することによつて前記行刑の目的を害されるとは解し難いし、また原告について考えても、原告が「監獄法」を閲読研究することによつて仮に今後更に原告の被告や国を相手方とする訴訟が増加し、かつ原告が被告の主張する様な逃走に関する前科前歴を有する関係上原告の出廷に多数の看守を要することになつても、そのことからただちに拘禁や監獄内の紀律および秩序維持に明白かつ現在の危険を生ずる蓋然性ありとはなし難い。

そうすると原告は「監獄法」を読む自由を有するものであり被告がこれを禁することは原告の基本的人権を侵害するものであつて許しがたいといわねばならない。(監獄法第三一条、同決施行規則第八六条は以上の解釈にてい触しない限りその合憲性を保持することができる。)

ところで、本件行政処分は、それ自体は原告の領置金により「監獄法」を購入することを拒否した処分であつて単純な右図書の閲読禁止の処分ではないから、その閲読禁止が違法であるからといつて当然に本件処分が違法となる訳のものではなく、その判定については右書籍購入のための領置金の使用と購入の結果たる私本の所持の点についてなおこれを制限すべき合理的根拠があるかどうかを検討しなければならない。

右の点について被告は本件領置金の使用目的は監獄法第五二条にいう正当の用途にあたらないとし、その理由として原告の購入しようとする「監獄法」は処刑累進処遇令の適用されない受刑者である原告について「特に必要と認められる場合」に使用を許される図書に該当しないと主張するので考えるに、およそ特別権力関係に在る受刑者の領置金の使用及び私物の所持に対する許否はそれが法規並びに受刑者の基本的人権の保障に牴触しない限り権力主体の広汎な自由裁量に属するものと解すべきことはいうまでもない。したがつて、一般的には、私物の購入及びそのための領置金の使用の拒否の適法性を主張するためには、被告の右主張の如き理由付けすら必要がないというべきである。けだし、行刑累進処遇令第七三条にいう法務大臣の認可は刑務所長が自己用途物品の所持につき行使する許否の裁量権を行政庁内部において規制するためのものに過ぎず、したがつて右個別的認可に代る被告主張の矯正局長通達も同様内部的規制に過ぎないと解されるから私物購入の許否が右通達に示された基準に適合しないからといつて、処分の不当の問題は生じても、処分の違法の問題は生じえないからである。ところが、逆に本件の如く右の拒否が、それ自体としては基本的人権の侵害として違法たるを免れない図書閲読の禁止という結果を直接的に招来する(このことは弁論の全趣旨に照らして認められる「監獄法」が広島刑務所において受刑者用備付官本に存しないことから明らかである)場合にあつては、拒否の適法性を主張するためには、単に該図書の閲読が前記通達にいわゆる「特に必要と認められる場合」にあたらないというだけでは足らず(後記の如く右必要性は認められるが)、領置金の使用又は私本の所持につき、それら自体を規制する面で右基本的人権を制限してまでもこれを拒否しなければならない程の管理運営上の必要性(その基準についても明白かつ現在の危険の理論が適用される)が存することを要するものと解するのが相当である。その限りにおいては、行刑累進処遇令第七三条の適用は当然に制限せられ、同条にもとづく前記通達は許否の基準たりえないものといわねばならない。

しかるに、被告は右の如き管理運営上の必要性については何等主張立証しないのであるから、結局本件処分は原告の基本的人権を侵害する違法のものであるとせざるをえない。それのみならず、原告が被告を相手取つて被告の原告に対する懲罰処分取消の行政訴訟を提起し現に広島高等裁判所に係属中であることは当事者間に争いない事実であるところ、右訴訟に関し原告が前記内容を有する「監獄法」の購入閲読を必要とすべき合理的理由のあることは容易に首肯しうるところであつて、これを右訴訟において敵対関係に在る被告において裁量によつて阻止する如き結果を招く処分は、訴訟における当事者対等の原則を侵すものであり、裁量権の濫用として許しがたいものといわねばならぬ。

よつて、本件行政処分はいずれにせよ取消を免れず、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。(昭和四二年三月一五日広島地方裁判所民事第二部)

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